ペンタ共和国に思いを馳せつつ、山の会議(仮) 脊振ブロックに参加して。

佐賀県の方たちはご存知だろうか?

 

ペンタ共和国という名称を。

 

今から約35年前、佐賀県北部脊振山系の5つの町村

三瀬 富士 厳木 七山 脊振で行政区の枠を越えて架空の共和国を名乗り、山間部という共通のリソースを統一のブランドとして観光誘致の取り組みをしていたらしい。 ペンタ=ペンタゴン(五角形)で5つの地域の連携と、山に良くいるタヌキをマスコットキャラクターにして、ペンタと名付けたと言うことらしい。

 

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山道を走っていると、まだその頃建てた看板が残っている。

 

ちなみに佐賀県では、有明海沿いの町で、同じようにどろんぱ王国というのもあったそうである。

スタートは行政主導であったようだが、単独でやるよりも広域連携でやったほうが相乗効果も期待できるので面白い取り組みだと思う。

 

きっと日本中で同じような取り組みがあったに違いない。

 

さて、昨夜は山の会議なるものに参加してきた。

参加されたのは旧ペンタ共和国の方々だ。

山で暮らしていて、課題に感じていることを出し合うファシリテーションを行なったのだが、微妙な違いはあれ、ほぼほぼ同じような現状や課題が出されていた。 

 

人口の減少 担い手の減少 移住者をどう受け入れるか? 移住者と先住者とのギャップをどう埋めるか?などなど。

いろいろな課題が出る中で、私が印象に残った言葉は「リーダーの不在」だ。

リーダーと言ってもさまざまな定義があると思うが、地域の行政区のリーダーは市では市長であろうし、村ならば村長だろう。

 

ペンタ共和国の5町村は、平成の大合併により近隣の市町村と合併の道を選んだ、結果ペンタ共和国は事実上消滅した訳だが、それとともに地域のリーダーであった首長もいなくなってしまった。

きっとそれまでは地域の隅々、住んでいる人々一人一人を熟知し切った首長や行政職員が実情に合った政策を、今よりはるかにしていたであろうし、故郷創生資金をはじめ、ある程度自由に使える予算を村づくりに使えた筈である。

私の住んでいる脊振も、村時代に神埼町 千代田町と合併して神埼市になった。山の脊振と平野の神埼、有明海に近い千代田と、南北に長い縦長の市となった。

 

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近いとはいえ、異なる文化やリソースを持っていた町村の合併は難しかっただろうし、沢山の課題を残していると思う。 ましてや山と平野では予想以上に違いがあると思う。

例えば、農業一つとっても狭い田んぼを何枚も管理しながらイノシシと戦う山の農家の苦労は圃場整備され、大型機械で作る平野の農家には共感できないと思うし、それはぜひもないことだと思う。

 

私は数年前に農業委員をさせていただいていたのだが、平野部の委員の仕事は農地から宅地への転用の立ち会いなどが主だったが、山間部は地目が農地でありながら耕作放棄地となったり原野化した土地の調査や非農地証明の発行に関するものなどだった。

 

また、災害も、山は土砂崩れや積雪、平野では冠水など、対応も違う。 それらに対処するため合併後も支所を残して職員もいるのだが、それでもやはり、村長のようなリーダーがいて陣頭指揮をとるのとではレスポンスも違うし、なかなか実情が伝わりにくいという声は沢山ある。ましてや力強い村づくりは望むべくもない。

 

平成の大合併により合併した多くの自治体が同じようなジレンマを抱えているのだろう。 合併から抜け出そうという動きが日本中にかなり出てきている。特に大きな行政区との合併の道を選んだ小さな行政区(山、村)などは合併後、良くなった、合併して正解だったと住人が思っているところは皆無か、限りなく少ないのではないだろうか?

 

その一方で合併の道を選ばす、自らの自治を貫いて発展を遂げ、有名になった村もある。 

 

岡山県西粟倉

https://colocal.jp/topics/think-japan/kaijirushi/20131217_27605.html

 

脊振と西粟倉村は、山という資源、主たる生業は林業、人口という点でもほぼ一緒である。

合併を選んだ脊振。 自主自立の道を選んだ西粟倉村。 どちらも険しい道を経て10数年の現在の姿がある。 比べるのは好きではないし、単純な比較はすべきでは無いが、両者の間には大きな開きがあると思う。

 

自らの可能性を信じ、強みを磨き上げ、いばらの道を進みながら村づくりを力強く進める西粟倉村は全国の注目を浴びている。 

 

成功した事例が出ると、やり方を真似たら良い、という人がいるが、私はそれでは絶対上手くいかないと言いたい。 なぜ自主自立のいばらの道を選んだのか!  そこには強烈なプライドと、熱量と、覚悟が確実にあった筈である!  それら無くしてやり方だけ真似るのは、仏作って魂入れず。 単なるハリボテに過ぎないと思う。 

 

西粟倉村の例は稀有な事例だが、地域の活性化には何よりそこに住む人々のマインドが最も大切だと言うことを教えてくれていると思う。 

 

合併により、住民の声が届きにくくなった。

リーダーが不在になり、大事な決定が出来なくなった。 その様な声は良く山間部で耳にするし、事実だろう。 

そしてますます財政が厳しい地方では末端の声は届かなくなるだろう。 まるで手や足の指先まで血が回らず、冷え性になっている人のようである。(笑)

 

これは東京と地方との関係にも同じ構図を感じる。

ここまで書いてみて、これで終わりでは単なる分析と愚痴になってしまうが、では、リーダー不在で行政主導ではなく、山を活性化するにはどうしたらよいか? そのことを考えてみたい。

長くなったので、二部構成にしたいと思います。

長文読んでくださりありがとうございました。